飛行第一一戦隊 (1) | 航空戦史雑想ノート【陸軍編】

飛行第一一戦隊 (1)

飛行第一一戦隊

【通称】

洋第八三一一部隊

燕第八三一一部隊

【飛行分科】

戦闘

【編成】

昭和7年6月      飛行第一一大隊

昭和10年12月    飛行第一一連隊

昭和13年8月31日 ハルビン

【使用機種】

九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」、四式戦闘機「疾風」 

【最終所在地】

高萩(埼玉県)

【所属】

第一二飛行団

 団長/岡本修一中佐(士33期) 司令部員/佐藤少佐、司令部付/長谷川中尉

 飛行第一戦隊長/武田金四郎少佐(士36期)

 飛行第一一戦隊長/杉浦勝次少佐(士41期)



昭和17年

ビルマ・ミンガラドン飛行場にてラングーン地区の防空にあたる。


昭和17年11月2日

大本営陸軍部は、第一二飛行団に転進命令を下達。

飛行団司令部と飛行第一一戦隊が先行することになり、修理機をラングーン航空分廠に提出、可動機は16~19日に逐次シンガポールに集合。

シンガポールの野戦航空廠にて完全装備機数、各中隊12機、本部6機、予備機6機、計48機を充足。

各中隊操縦者12名ほか予備人員も補充。



昭和17年11月22日現在

飛行第一一戦隊 空中勤務者:57名

〔本部:7名〕

【将校】長:杉浦少佐(士41期)、長谷川中尉

【准士官】馬場准尉

【下士官】黒柳曹長、藤井曹長、小田軍曹、友広伍長(少飛6期) 


〔第一中隊:16名〕

【将校】長:宮林大尉(士51期)、斎藤中尉(航士53期)、小林中尉(特操)、四至本中尉(航士54期)、長与少尉(航士55期)、川越少尉(航士55期)

【准士官】吉竹准尉(少飛2期)

【下士官】堀曹長、綿貫曹長、高木曹長、浜田軍曹、滝沢伍長(少飛6期)、重信伍長(少飛6期)、青山伍長(少飛6期)、桂川伍長(少飛7期)/入校派遣中:岡田曹長


〔第二中隊:17名〕

【将校】長:谷口大尉(士47期)、 佐藤中尉(航士53期)、柳川中尉(航士54期)、池田少尉(航士55期)、佐野少尉(航士55期)/入校派遣中:藤田中尉(航士52期)

【准士官】上登能准尉(少飛2期)、飛田准尉

【下士官】宮本曹長、山崎曹長、高垣曹長(少飛4期)、前田軍曹、佐々木軍曹、清見伍長(少飛6期)、中村伍長(少飛6期)、加藤伍長(少飛7期)、甲斐伍長(少飛7期)


〔第三中隊:17名〕

【将校】長:平野中尉(航士52期)、木村中尉(航士53期)、山県中尉(航士54期)、中川中尉(特操)、松本少尉(航士55期)、落合少尉(航士55期)/入校派遣中:西川中尉(航士54期)

【准士官】なし

【下士官】山口曹長、鰐淵曹長、栗原軍曹、妹尾軍曹(少飛5期)、高橋軍曹(少飛5期)、近藤軍曹、飯田伍長(少飛6期)、薮内伍長(少飛6期)、橋口伍長(少飛7期)、伊藤伍長(少飛7期)



昭和17年11月27日

各中隊ごとに1時間半の間隔をあけ、建制順にシンガポール・テンガー飛行場を出発。

昼過ぎ 戦隊全機がジャワ島東端マラン飛行場に到着。


昭和17年11月28日

第六飛行師団が編成される。

【師団長】

板花義一中将 (陸士22期)

【隷下部隊】

第一二飛行団〔ラバウル西飛行場(ブナカナウ)〕

 飛行団司令部    〔定数:人員65名/自動車8台〕 

 飛行第一戦隊    〔定数:一式戦闘機「隼」:37機 人員266名/自動車5台〕

 飛行第一一戦隊  〔定数:一式戦闘機「隼」:37機 人員266名/自動車5台〕

白城子教導飛行団

 飛行第四五戦隊  〔定数:九九式双発軽爆撃機:27機 人員464人〕

 飛行第二〇八船隊 〔定数:九九式双発軽爆撃機:27機 人員464人〕

独立飛行第七六中隊〔定数:一〇〇式司令部偵察機:9機〕

飛行場大隊(4個)  〔定数:人員712名、車両66台(1個大隊)〕

 第四八飛行場大隊 〔定数:人員:約300名/トラック40台〕

野戦飛行場設定隊〔5個〕

航空通信連隊

第一四野戦航空補給廠 


昭和17年12月2日

マラン北方のスラバヤ飛行場に移動。

昭和17年12月4日

スラバヤ飛行場より港へ機を運搬、海軍の特設航空母艦「雲鷹」に搭載。


昭和17年12月5日

夕刻 スラバヤを出航。

飛行第一一戦隊は定数37機のほか、予備機24機、操縦者61名(うち技量甲47名)


昭和17年12月13日

早朝 トラック島に到着。春島飛行場に飛行機の運搬を開始。

昼前 終了。


昭和17年12月18日

一式戦64機〔飛行団司令部機、連絡機2機を含む〕が、海軍一式陸上攻撃機3機(誘導2機、最後尾〈故障機収容〉1機)〔9機説もあり〕ともに春島飛行場を出発。

洋上飛行を行い全機ラバウル西飛行場に到着。

到着直後より海軍と協同し、ラバウルの防空についた。


昭和17年12月19日

「偵察B‐17迎撃」

午前 ボーイングB‐17重爆撃機が高々度にて飛行場偵察に侵入。

警急姿勢にあった一中隊の1個編隊(一式戦3機)が、目視迎撃に離陸したが捕捉できず。


昭和17年12月22日 

「偵察B‐17迎撃」

朝 ボーイングB‐17重爆撃機1機が高々度にて飛行場偵察に侵入。

警急姿勢にあった二中隊の柳川中尉編隊(一式戦9機)が、目視迎撃に離陸。

セントジョージ水道上空7,000メートルにて捕捉、全機12.7ミリ機関砲を全弾発射し、命中弾多数と判断されたが撃墜できず。

昭和17年12月23日

「偵察B‐17迎撃」

高々度偵察に侵入したB‐17を、第三中隊の1個編隊が迎撃。約30分追撃し攻撃したが撃墜できず。


同日

「ブナ偵察」

午後 第一中隊長:宮林大尉が単機にてブナ方面の天候気象と地形偵察を行う。


昭和17年12月24日

「ブナ地区上空救援」

0700 本部編隊5機、第二中隊8機が、ブナ方面地上軍救援のためラバウル西飛行場より出撃。

ニューブリテン島南岸に沿って飛行、スルミ飛行場より海上に出たが天候不良のため反転引き返す。

【編成】

本部編隊(5機):谷口正義大尉、友広伍長、黒柳曹長、馬場准尉、小田軍曹

第二中隊(8機):東條大尉、上登能准尉、飛田准尉、高垣曹長、ほか4名


同日

「偵察B‐17迎撃」

午前 宮林第一中隊長が僚機とともに迎撃。撃墜できず。


昭和17年12月26日

「ブナ地区上空救援」

0655 第一中隊11機、本部編隊4機が出撃。

悪天下のブナ南飛行場上空に高度4,000メートルにて進攻。上空にてロッキードP‐38「ライトニング」双発双胴戦闘機、カーチスP‐40「ウォホーク」戦闘機と空戦。

【編成】

本部編隊(4機):藤井曹長、ほか3名

第一中隊(11機):宮林大尉、今村曹長、ほか9名

【個人戦果】

宮林大尉 撃墜:P‐40戦闘機4機(うち不確実1機)、P‐38戦闘機2機
【被害】

自爆:一式戦2機

【戦死者】

今村良一  曹長 (下士79期) 第一中隊  ブナ沖

藤井弘一  曹長 (下士82期) 本部     ブナ沖 


昭和17年12月27日

「ブナ上空支援」

0730 戦隊長杉浦少佐直率の本部編隊、第一中隊、第二中隊、第三中隊31機が出撃。

海軍の九九式艦爆12機、零戦12機と合同。第三中隊長平野中尉指揮の8機が、艦爆隊を直掩し、戦隊長指揮の23機は制空隊として後上方に占位した。

1000 ブナ上空高度4,500メートルに進入。艦爆隊は高度2,000メートルより敵陣地を爆撃。

戦隊主力はP‐38戦闘機10機、P‐40戦闘機2~3機と交戦。

第三中隊は海軍部隊を海上まで援護後に戦隊主力の戦闘圏に加入。別働のP‐38戦闘機8機と交戦。

第三中隊の栗原軍曹機は被弾のため

、ニューブリテン島中央北岸半島タラセア東海岸付近のジャングルに不時着。翌日、海軍の水上飛行艇にて救出された。

【編成】[筆者注:調査未完、詳細不明]

本部編隊:杉浦少佐

第一中隊:宮林大尉、吉竹准尉

第二中隊:東條大尉

第三中隊:平野中尉、栗原軍曹
【戦果】
撃墜:P‐38戦闘機7機(うち不確実3機)

【被害】

損失:一式戦2機(自爆1機、不時着1機)

〔海軍被害〕

損失:2機(自爆1機、不時着1機)

【戦死者】

吉竹 正  准尉 (少飛2期) 第一中隊 ブナ沖


昭和17年12月29日

戦隊はシンガポール・テンガー飛行場に移動、98FRより11機を受領し、機材の整備や武装の改修を行う。


昭和17年12月30日

「一八作戦」準備のため、飛行団の輸送機にてスルミ飛行場に第一、二中隊より整備員7、武装2、通信1の計10名が派遣された。


昭和17年12月31日

「一八作戦」準備のため、ラエの東西両飛行場へ海軍の陸攻4機に分乗、本部および各中隊より選抜された整備員、武装係や通信員30名〔派遣隊長/第二中隊整備班長:森沢 誠中尉(陸士54期)〕が、第一中隊に援護されラバウル西飛行場を出発。

1014 ラエ上空にてノースアメリカンB‐25「ミッチェル」双発爆撃機11機、ロッキード「ハドソン」双発爆撃機9機、P‐38戦闘機12機と遭遇、交戦。

【編成】[筆者注:調査未完、詳細不明]

第一中隊:四至本中尉 被弾・落下傘降下(数日後に海軍機によりラバウルに帰還)

ラエ派遣隊:森沢中尉 整備23名〔各中隊7名、本部2名〕、武装4名〔各中隊1名、本部1名〕、通信2名

【戦果】

撃墜:P‐38戦闘機4機(うち不確実2機)

撃破:ハドソン2機(黒煙を吐かせる)
【被害】

損失:一式戦1機(被弾・空中火災、落下傘降下)


「一八作戦」に備え、本部付の下士官操縦者は全員第一、第二中隊に配置転換した。それに伴い整備員も移動した。


昭和17年12月末頃の戦隊の地上勤務者[筆者注:調査未完]

〔本部整備班〕

班長:谷本證准尉、整備員:岡田軍曹、有馬軍曹、池信軍曹、杉本昇一伍長、上岡伍長、西谷芳盛伍長、無線係:折笠広栄軍曹

〔第一中隊整備班〕

整備員:中原正人兵長、和田三之助、野田隆義、武装係:森与之助兵長

〔第二中隊整備班〕

班長:森沢 誠中尉、整備員:長谷部曹長、野村 定、吉清吾作、無線係:水谷 清

〔第三中隊整備班〕

整備員:菅野新喜、松山不二男、武装係:鈴木光雄


昭和18年1月5日

「ラバウル迎撃」

0728 高度3,000メートルで飛行場爆撃をおこなったB‐17爆撃機2機を、哨戒中の第二中隊が攻撃、うち1機を撃墜(不確実)した。

1020 B‐24爆撃機/B‐17爆撃機の混成13機が高度3,000メートルでラバウル湾の船舶を爆撃。

在空の哨戒機と警急姿勢の第二中隊、および他の中隊が迎撃。

1200 一八船団〔輸送船「智福丸」(5,800トン)「日竜丸」(5,500トン)「妙高丸」(4,100トン)「くらいど丸」(5,500トン)「ぶらじる丸」(5,800トン)、駆逐艦5隻〕がラバウルを出港。

【編成】[筆者注:調査未完、詳細不明]

第一中隊 長与少尉   未帰還(単機にて追撃したまま戻らず)

第二中隊 上登能准尉 撃墜・B‐17爆撃機1機(数撃の反復射撃により)

       高垣曹長   落下傘降下(機体に被弾、空中火災のより)

【戦果】

撃墜:B‐17爆撃機2機(うち1機不確実)、B‐24爆撃機2機(不確実)

[筆者注:一式戦によるB‐17爆撃機の初撃墜]

【被害】[筆者注:調査未完により詳細不明]

損失:一式戦2機(未帰還1機/被弾・空中火災、落下傘降下1機)

【戦死者】

長与 寿  少尉 (航士55期) 第一中隊


同日

「船団上空掩護」

1200~1400 第一中隊 ラバウル西発進

1350~1600 第二中隊 ラバウル西発進

1550~1730 第三中隊 ラバウル西発進 スルミ着

【殉職者】

加藤健次 伍長 (少飛7期)  第二中隊 故障のためスルミに不時着、夜間、ラバウル西飛行場の西南方ジャングルに墜落。



昭和18年1月6日

「船団上空掩護」

0415~0600 第三中隊 スルミ発進

0550~0800 第一中隊 ラバウル発進~スルミ

0750~1000 第二中隊 ラバウル発進~スルミ

0840 B‐24爆撃機1機が西方より、ついでB‐17爆撃機1機が偵察目的で来襲。掩護中隊が1個編隊で撃退。

0942 B‐24爆撃機1機が高度2,000メートルにて来襲。掩護中隊は2個編隊の主力で攻撃、撃墜。

0950~1200 第三中隊 スルミ発進

1150~1400 第一中隊 スルミ発進~ラエ

1215 ショートサンダーランド飛行艇2機が高度2,000メートルで来襲。掩護中隊が撃退。

1220 B‐24爆撃機1機が高度3,000メートルにて来襲、撃退。
1350~1600 第二中隊 スルミ発進~ラエ

1550~1730 第三中隊 スルミ発進~ラエ


昭和18年1月7日

「船団上空掩護」
0430~0600 第二中隊 ラエ発進

0550~0730 第一中隊 ラエ発進

0720~0900 第三中隊 ラエ発進

0850~1030 第二中隊 ラエ発進

1020~1200 第一中隊 ラエ発進

1150~1330 第三中隊 ラエ発進

1320~1500 第二中隊 ラエ発進

1450~1630 第一中隊 ラエ発進

1620~1830 第三中隊 ラエ発進


昭和18年1月8日

「船団上空掩護」

0430~0600 第一中隊 ラエ発進

0600~0730 第三中隊 ラエ発進

0730~0900 第二中隊 ラエ発進

0900~1030 第一中隊 ラエ発進

1030~1200 第三中隊 ラエ発進

1200~1330 第二中隊 ラエ発進

1500~1630 第三中隊 ラエ発進

1630~1800 第二中隊 ラエ発進


昭和18年1月9日

「船団上空掩護」

0430~0530 第三中隊 ラエ発進

0530~0630 第一中隊 ラエ発進

0630~0730 第二中隊 ラエ発進

0730~0830 第三中隊 ラエ発進

0830~1000 第一中隊 ラエ発進


昭和18年1月9日

飛行第一一戦隊の出撃可能機数は15機。

 

『ガダルカナル島第一次撤退援護/航空撃滅戦』

「第一次」

海軍の零戦72機、陸攻12機が出撃。

小型機10数機と交戦。

撃墜7機、被害5機(未帰還)。


昭和18年1月5日~10日

「十八号作戦上空掩護」

第八方面軍によるラエに対する船団輸送の上空掩護を海軍と協同で行う。その際にラエ、ニューブリテン島のスルミ飛行場を利用した。

5日のラバウル出航から、10日の帰港までを延べ283機で掩護に当たった。

【交戦機数】

約160機(B‐17/B‐24/P‐38/A‐20等)

【戦果】

撃墜:15(うち不確実13)機

【被害】

自爆・未帰還:6機

大破・炎上:10機

操縦者戦死:7名

【戦死者】

長与 寿  少尉 (航士55期) 第一中隊  ラバウル 1月5日

佐々木隆義軍曹 (予下士)   第二中隊  ラバウル 1月6日

平野博篤  中尉 (航士52期) 第三中隊長 ラエ沖   1月7日

中川隆雄  中尉 (特志)     第三中隊  ラエ沖   1月7日

綿貫 清  曹長 (下士77期) 第一中隊  ラエ沖   1月7日

甲斐保一  伍長 (少飛7期)  第二中隊  ラエ沖   1月7日

栗原健次郎曹長 (下士82期) 第三中隊  ラエ沖   1月8日

操縦者殉職:1名

【殉職者】

加藤健次 伍長 (少飛7期)  第二中隊  スルミ   1月5日

操縦者負傷:3名

沈没:輸送船2隻


昭和18年1月26日

ガダルカナル撤退作戦の掩護のため飛行第一一戦隊は、杉浦戦隊長が第三中隊を直率、第一、第二中隊は中隊ごとにブカ島にで進出した(1500頃までに一式戦33機が集結)。

午後 第一二飛行団司令部(一式戦)3機、第一戦隊(一式戦Ⅱ型)36機、第四五戦隊の九九式双発軽爆撃機9機、第七六中隊の百式司令部偵察機2機はショートランド島バラレに展開。


昭和18年1月27日

「ガダルカナル島攻撃」

0610 一一戦隊の一式戦33機は、ブカを離陸。

0655 バラレ上空にて、一戦隊と協同で軽爆隊(四五戦隊)を援護し、ガダルカナル島へ進攻した。

コロンバンガラ島上空付近にて、一一戦隊長機が反転、高度を下げ引き返す。

0845 ガダルカナル島上空に進入、高度5,500メートル、ルンガ岬南方上空で、第一戦隊は小型機と交戦。P‐38戦闘機2機、P‐39戦闘機3機、F4F戦闘機1機を撃墜。損害6機(自爆1機、未帰還4機、不時着1機)

0900頃 空戦終了、帰途につく。一一戦隊第三中隊は後方よりP‐38数機の追尾攻撃を受けたが撃退。ムンダに着陸し給油。ラバウルに帰還した。


昭和18年2月1日

「ガダルカナル島攻撃」

四五戦隊:九九式双軽6機、一一戦隊:一式戦23機で、ガダルカナル島攻撃。

0920 九九式双軽はヘンダーソン飛行場に対して急降下爆撃を行う。

【戦果】

撃墜:戦闘機4機(一一戦隊)

撃破:大型機9機(四五戦隊)


『ガダルカナル島第二次撤退援護』

一一戦隊はラバウルよりムンダを機動飛行場として使用し、第二次撤退輸送の駆逐艦の直掩を行う。


昭和18年2月4日

「上空直衛(第一次)」

1300 第一中隊が駆逐艦19隻の援護任務

1358 高度3,000メートルにてP‐40戦闘機2~3機、F4F戦闘機10機が来襲。SBD爆撃機12~13機が高度4,500メートルにて東北方より来襲、急降下爆撃に入る。

第一中隊は直ちにSBD爆撃機群を攻撃。

【戦果】

撃墜:SBD爆撃機2機、F4F戦闘機2機、P‐40戦闘機1機

【被害】

自爆:1機

【戦死者】

青山    伍長 (少飛6期) 第一中隊  


「上空直衛(第二次)」

1505 第一中隊(一式戦5機)は高度2,000メートルにて来襲したSBD爆撃機を攻撃。

1510 F4F戦闘機10機、P‐40戦闘機4~5機が高度4,000メートルにて来襲。交代に到着した一戦隊の1個中隊と協同して攻撃。

【戦果】

撃墜:SBD爆撃機3機(うち不確実1機)、F4F戦闘機1機(不確実)

【被害】

自爆:1機

中破:駆逐艦1隻(曳航帰還)

小破:駆逐艦1隻

【戦死者】

友広    伍長 (少飛6期) 第一中隊(戦隊本部)


昭和18年2月6日

「ワウ攻撃」




昭和18年1月27日~2月8日(12日間)の第六飛行師団の損害

一式戦闘機「隼」    18機

九九式双発軽爆撃機 10機

一〇〇式司令部偵察機 1機



*未完稿


【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

[筆者注:調査未完のため、今後、大幅に加筆、改定を予定しています]

初稿  2005-04-13

第2稿 2005-10-22 一部加筆

第3稿 2006-09-17 一部加筆

第4稿 2006-10-15より 南東方面作戦を大幅加筆中

第5稿 2007-06-23 大幅改訂