飛行第五四戦隊/北千島派遣隊(1) | 航空戦史雑想ノート【陸軍編】

飛行第五四戦隊/北千島派遣隊(1)

加筆中(2010-08-20)


【北千島派遣隊長】
竹田 勇   大尉  (航士52期/転科)    19年7月~19年10月
中島重幸  大尉  (航士54期/転科)    19年10月~20年7月
吉崎 巌   中尉  (陸士56期/操92期)
新屋弘市  少尉  (少候23期/予下士)  18年10月~
碓井健次郎 軍曹  (操87期)
成清 巌   軍曹  (少飛10期)
入江 忍   軍曹  (少飛10期)
福岡国次  軍曹  (少飛13期)



昭和19年8月中旬
北千島派遣隊(一式戦12機、操縦者15名、指揮官:竹田大尉)を北ノ台(幌筵島)残置させた。
主力は丘珠(札幌)に移動。一部は苫小牧に分遣し、室蘭防空に当たる。


昭和19年8月14日
「幌筵島迎撃」
シェムヤ島を発したB-24爆撃機3機(うち1機引き返す)は柏原地区を爆撃。
別にB-25爆撃機6機は、北千島東部の船舶掃蕩。
[筆者注:調査未完、詳細不明/米側判断ではB-25爆撃機が戦闘機と交戦、戦闘機1機を撃墜]


昭和19年8月27日
「迎撃/攻撃(?)」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-24爆撃機3機は早朝幌筵島柏原を攻撃、数カ所に火災を生じさせた。
B-25爆撃機6機は北千島東部沿岸を銃爆撃、哨戒艇1隻を撃沈。迎撃してきた戦闘機4機のうち1機にB-24爆撃機1機が撃破された。
B-24爆撃機7機は燃料庫、小船、桟橋、港湾施設を含む大泊岬、柏原の目標を爆撃。
P-38戦闘機6機はアッツ島西の未確認機4機の迎撃を試みたが成功しなかった。
《損傷》
B-24爆撃機1機(被弾、戦闘機により)
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和19年9月4日
「幌筵島迎撃」
米陸軍第11航空軍のB-25爆撃機6機が船舶攻撃のため来襲。
迎撃。
[筆者注:調査未完、詳細不明/米側判断では戦闘機8機と交戦、双方被害無し]


昭和19年9月10日
「迎撃?」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-25爆撃機6機は幌筵島沖の船舶攻撃。うち4機は目標を発見できずにアッツ島に帰還。攻撃を行った1機は船のマストにぶつかり、海面に着水。もう1機はペトロパブロフスクに片肺着陸した。
B-24爆撃機3機は11日にかけ攻撃を行う。
作図任務で千島上空を飛行した爆撃機2機と写真撮影機2機は戦闘機に攻撃されたが、被害は受けなかった。
《損失》
B-25爆撃機2機(不時着水1機、ソ連領に不時着1機)
《喪失機》
B-25爆撃機 (# 不明) 6名捕虜
B-25爆撃機 (# 不明) カムチャッカ 不時着陸 6名抑留
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和19年9月25日
「迎撃?」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
幌筵島鞍部崎を爆撃中のB-24爆撃機8機は戦闘機12機に迎撃された。戦闘機により被害を受けた2機の1機はソ連領に不時着した。戦闘機1機を撃墜。
B-25爆撃機4機による船舶掃討は成果なし。
《損失》
B-24爆撃機1機(被弾、戦闘機により、ソ連領に不時着)
《損傷》
B-24爆撃機1機(被弾、戦闘機により)
《判明している喪失機番号》
B-24爆撃機 (#42-40977) カムチャッカ 不時着陸 11名抑留
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和19年10月5日
「迎撃?」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-24爆撃機1機は、松輪島沖の写真偵察を天候不良の為に中止。
B-25爆撃機4機は、占守島沖輸送船、ハシケを爆撃。
戦闘機15~17機により迎撃される。戦闘機1機を撃墜。
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和19年10月18日
「迎撃?」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-25爆撃機4機は幌筵島擂鉢、鞍部崎の飛行場を爆撃。戦闘機8~12機の迎撃を受け、うち2機を撃墜した。
【戦果】
不明
【被害】
不明



昭和19年10月末

北千島派遣隊は、占守島片岡飛行場に移駐。



*未完稿


【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 


初稿   2005-11-05

第2稿  2010-08-20 加筆、(1)と(2)に分稿