航空戦史雑想ノート【陸軍編】 -23ページ目

陸軍第六飛行師団について

陸軍第六飛行師団は、風雲急を告げる南東方面(ソロモン諸島・ニューギニア)の海軍部隊を救援する目的で編成された飛行師団である。

当初はラバウルに派遣されたが、ガダルカナル島失陥後はニューギニアのウエワクに本拠を移し、昭和18年7月に新編された第四航空軍に配属された。その後、ホ-ランディアに後退、昭和19年8月にはニューギニアの山中で壊滅してしまう。

戦闘機のみではなく、この陸軍で一番短命で悲惨な最期を遂げた飛行師団の戦歴と、ニューギニア方面航空戦の実態を追ってみたいと思う。

例によって、遅筆と資料不足にため、アウトライン程度のまとめにしかならないかもしれませんが、お付き合い下さい。

飛行第二〇〇戦隊

飛行第二〇〇戦隊 


【戦隊長】
高橋 武   中佐 (士38期/操28期) 戦闘班
【副戦隊長】
坂川敏夫  少佐 (士40期/操40期) 戦闘班【撃墜数:約15機】
【中隊長】
中川鎮之助 大尉 (航士53期)戦闘班
田端 優   大尉 (下士65期/20少) 戦闘班
深見和雄  大尉 (士53期転科/操83期) 戦闘班
宮丸正雄  大尉 (下士50期/18少) 戦闘班【撃墜数:8機以上】
河野時男  大尉 (航士53期)転科
桑原 繁   大尉 (航士53期)転科

 


昭和19年10月12日
明野教導飛行師団の教官・助教を中心として編成。

通常の戦隊の二倍の編成(6個中隊)とされたが、若干の幹部を除いて実戦経験者は少なく、少飛13期生、明野(乙)過程を終えたばかりの航士57期生の未熟者も相当数含まれていた。
しかも、四式戦闘機の未修教育を終えるのがやっとで、戦隊としての訓練を行う間も無く、フィリピン進出が下令された。

 


昭和19年10月21日
先発隊は高橋戦隊長が第一~四中隊/約50機を率いて明野を出発。しかし、テスト飛行を省略したため、離陸直後に戻る機もあった。

 


昭和19年10月22日
「事故」
榊原仙太郎 曹長 (少飛6期)  石垣島沖

 


昭和19年10月23日
ルソン島クラーク基地群南端のポーラック基地に到着したのは、12機。

 


昭和19年10月24日 
「リンガエン湾」
大井幹一  曹長 (下士89期) リンガエン湾

 

同日
「クラーク」
宮崎菊男  軍曹 (少飛10期) クラーク

 

同日
四式戦35機が追及。

 


昭和19年10月25日
午後、戦隊主力は中部フィリピンのネグロス島サラビア基地に前進し、第三〇戦闘飛行集団長(青木武三少将)の指揮下に入る。

 


昭和19年10月26日
「レイテ湾制空」

  


昭和19年10月27日
「レイテ湾制空」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
河村純宏  中尉 (航士56期)  レイテ
栢沼正男  少尉 (航士57期)  レイテ
川口三郎  曹長 (下士87期)  レイテ
関 司郎   曹長 (下士87期)  レイテ

 


昭和19年10月28日
「ネグロス島」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
田畑 優  大尉 (下士65期)  ネグロス 【撃墜数:8機以上】
中園亮介  中尉 (航士56期)  ネグロス

 


昭和19年10月29日
「レイテ湾制空」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
宮丸正雄  大尉 (下士50期)  レイテ  【撃墜数:8機以上】
清野信夫  軍曹 (下士90期)  レイテ


昭和19年10月30日

後発隊は坂川少佐が第五、六中隊/21機を率いてクラークに到着。主力を追及してサラビアに前進。

 


昭和19年10月26日~31日
【期間戦果】
撃墜:7機
【期間被害】
自爆・未帰還:11機
可動:9機

 


昭和19年11月
ネグロス島マナプラに展開していた第二二戦隊と合同し、レイテ制空、タ弾によるタクロバン飛行場の夜襲、パゴドロ地区の防空戦闘等に当たる。

 


昭和19年11月1日
「船団輸送掩護」
【編成】
【戦果】
吉良勝秋准尉 *撃墜・P‐38戦闘機2機  【撃墜数:21機】
【被害】
【戦死者】
中武政種  中尉 (下士69期)  フィリピン

 


昭和19年11月3日
「レイテ」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
大森嘉夫  中尉 (航士55期)  レイテ
名古屋春吉 軍曹           レイテ

 


昭和19年11月5日
「パゴロド地区迎撃戦」
【編成】
【戦果】

森田清良軍曹 *撃墜・B‐24爆撃機1機 
【被害】
【戦死者】
森田清良軍曹             右腕重傷後着陸、戦死/ネグロス           

 


昭和19年11月8日
「レイテ」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
野村秀一  中尉 (航士56期)  レイテ

 


昭和19年11月10日
「オルモック湾空戦」
二〇〇、二〇四、二四、一七、五一戦隊が参加。
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
鈴木安平  伍長 (少飛11期)  レイテ

【総合戦果】
撃墜:14機(不確実2機)
【総合被害】
不明
《米軍記録》
撃墜:17機
被墜:11機

 


昭和19年11月14日
「レイテ」
【編成】
【戦果】
【被害】
戦死者
山中 選   伍長 (少飛12期)  レイテ
永瀬善一  伍長 (少飛13期)  レイテ

 


昭和19年11月16日

「レイテ」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】              
星  敏   中尉 (航士56期)  レイテ
塩野広吉  少尉 (航士57期)  レイテ

 


昭和19年11月19日
「レイテ」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
宗  昇   准尉 (下士79期)  レイテ 【撃墜数:14機】
小林満十  軍曹 (下士89期)  レイテ


昭和19年11月21日
「ネグロス」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
桑原 繁  大尉 (航士53期)  ネグロス
渡辺徳之助少尉 (航士57期)  ネグロス

 


昭和19年11月1日~23日
【期間戦果】
不明
【被害】
自爆・未帰還:19機
大破・炎上:35機

 


昭和19年11月24日
「レイテ攻撃」
五五、二二、二〇〇、三一戦隊が参加。
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
河野時男  大尉 (航士53期)  レイテ
笹田雅文  少尉 (航士57期)  レイテ
福田常三  軍曹 (下士89期)  レイテ
飯塚虎男  伍長 (少飛13期)  レイテ

【総合戦果】
不明
【総合被害】
損失:14機
《米軍記録》
撃墜:35機
被墜:3機

 


昭和19年12月1日
「ネグロス」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
香村 章  伍長 (少飛11期)  ネグロス B-29体当り

 


昭和19年12月7日
「オルモック湾艦船攻撃」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
森田公久  中尉 (航士56期)  セブ沖
磯谷 勇   少尉 (航士57期)  セブ沖
山口宣男  少尉 (航士57期)  セブ沖
【総合戦果】
不明
【総合被害】
損失:8機
《米軍記録》
撃墜:56機
被墜:3機

 


昭和19年12月11日
「第9次船団輸送掩護」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
江下博夫  少尉 (航士57期)  レイテ
水谷俊太郎 少尉 (航士57期)  レイテ中旬

 


昭和19年12月中旬
戦隊主力はネグロス島の使用を断念、ルソン島マバラカット東基地に後退し、未配分の四式戦約30機を取得、戦力回復に入ったが、連日の迎撃戦により消耗が重なった。


昭和19年12月17日
「レイテ」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
輪替茂夫  軍曹 (下士91期)  レイテ

 


昭和19年12月19日
「ネグロス」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
高橋政邦  中尉 (航士56期)  ネグロス
三宅孝一  軍曹 (少飛10期)  ネグロス

 


昭和19年12月21日
「パナイ島沖」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
加藤忠正  少尉 (航士57期)  パナイ島沖
小池義次  伍長 (少飛13期)  パナイ島沖

 


昭和19年12月24日
「クラーク」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
大石甲子治 軍曹 (少飛9期)   クラーク

 


昭和20年1月6日
「クラーク」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
小島良夫  中尉 (航士56期)  クラーク

 


昭和20年1月8日
「リンガエン湾艦船特攻」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
白岩良治  中尉 (航士56期)  ルソン西方
上野 新   軍曹 (少飛10期)  ルソン西方


昭和20年1月13日
「リンガエン湾艦船特攻」
【編成】
【戦果】
【被害】
【戦死者】
西 哲雄  中尉 (少飛2期)   ルソン

 

同日
朝 双発の高等練習機に搭乗した戦隊長と津崎七二戦隊長は行方不明となり、米軍機に撃墜されたと判定された。
高橋 武  中佐 (士38期)    ルソン 便乗中

 

同日
可動機が無くなり、生存した操縦者と地上勤務者は自動車便で北部ルソン島のエチャゲ基地に後退した。

以後、空中勤務者はエチャゲを経由して台湾に脱出したが、2月上旬までに後退に成功したのは、深見大尉以下13名のみだった。

 


昭和20年5月30日
戦力回復も進まないまま、戦隊は解散。

地上勤務者の大部分はバギオからカガヤン渓谷にわたる山中を放浪し、約100名が臨時歩兵第25大隊に編入されて、地上戦闘に従事した。
ネグロス島残置隊(長:長沢中尉)の134名は、サラビアからシライに移動、さらに山中にてゲリラ戦に移行し終戦まで奮闘した。

 


昭和20年7月11日
地上戦死
鈴木 弘  曹長 (下士90期)  ルソン島



飛行第二〇〇戦隊の総員513名、うち生還したのは118名のみ。




 

【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。



[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております。]


 

初稿  2005-04-26

粗にして野だが卑ではない!

お寄りいただきありがとうございます。

相も変わらず、このブログには全然反響が無いのですが、毎日、読みに来てくれてる人達には感謝しております。多分、姉妹ブログから流れて来てくれているのだと想像しております。ご愛読ありがとうございます。

皆様のおかげで、ともすれば下がりがちなモチベーションを維持しております。

コメントやトラックバックのしようが無いブログですが、今後ともよろしくご愛読を!

 

さて、筆者については、別ブログから流れて来ている人たちは、うすうす感じているかもしれませんが、もしかしたらこのブログのみの読者が居られるかもしれませんので、一言申し添えます。

筆者は断じて右翼でも、軍事オタクでもありません。

自身で宣言するあたり怪しいのですが、もし、あなたが筆者の友人に、「katsu1961とはオタクですか?」と尋ねたら、「あんた人間違いじゃないか?ヤツはそんな立派なもんじゃないよ!」と言われるでしょう。

じゃあどういう人間なのかと問えば、間髪を入れず「ならず者!!」と答えるでしょう。

でも、変な風に想像しないで下さいね。昔の話ですから。

 

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