航空戦史雑想ノート【陸軍編】 -24ページ目

陸軍の戦闘機パイロットについて

陸軍の戦闘機パイロットについて

戦後の日本では、海軍の戦闘機パイロットに比べ、陸軍の戦闘機パイロットは地味な印象があります。

ともに太平洋やアジア全域で戦ったのに、書籍や資料の数では、やはり海軍が主で陸軍が従のような気がします。

特に商業出版の場合に、その印象が強いのは、海軍が全期間をほとんど零戦のみで戦ったのに対し(「紫電」「雷電」「月光」等があったにせよ、主力とは言えないと思います)、陸軍では一式戦、二式単戦、三式戦、四式戦とその主要戦闘機が変遷したため、焦点が分散してしまったためとも考えられます。

興味の対象が分散してしまえば、その印象もまた同様になるのでしょうか。

しかし、勝利を目指し死力を尽くし戦い、刀折れ矢尽きたことは陸海軍ともに同様です。

組織が海軍に劣っていたとも思いません。

編隊空戦を取り入れたのは海軍より早かったですし、主力戦闘機の転換もスムーズに行っています。

そして、何より下士官兵から士官になるのは、海軍より陸軍の方が積極的だったようです。これは、非常に重要なことで、経験を積んだ熟練者が指揮官になる事ができるということです。その点、海軍の場合は保守的で、下士官兵より士官になれても特務士官と呼称され、指揮権は付与されませんでした。

つまり、特務大尉は兵学校や予備学生出身の士官の指揮を受けなければならなかったわけです(たとえ、それが中尉であってもです)。

しかし、戦争が激化して中堅士官が大量に喪失するようになると、空中指揮官の不足が表面化し、後に変わりましたが。

また、海軍では飛行長(少佐)クラスではもう飛ばなくなりますが、陸軍の場合は戦隊長(少佐)飛行団長(中佐)クラスでも積極的に最前線に出て、空中戦を行います。

ある意味で、空中に上がった場合、陸軍の戦隊の方がバランスは揃っていたのではないでしょうか?

まあ、いちがいには言えないですが・・・

坂井三郎中尉や武藤金義少尉のように、大向こうを唸らせる神業のような空中戦を行ったパイロットは陸軍にもいます。

田形竹尾准尉の台湾上空の戦いは、筆者は陸海軍を通じて特筆されるべき空中戦だったと思います。

そして、それが教育飛行隊の教官によってなされたということが、陸軍の操縦者の層の厚さを物語りるのではないでしょうか。

しかし、いずれも一兵卒からのたたき上げのパイロットなのですが、今も昔も、本当の実力というものには、学歴なんかさほど重要では無いって事なのでしょうね。

優秀な人間が、その力を自在に発揮できるような、自由な開かれた組織にならなければいけませんね。

そう考えると、今の日本の状況はまだまだ60年前や、もっとそれ以前とさほど変わっていないのでは、と思います。

この項は続きます。

略号について

出身期の表記について、「士(航士)」は陸軍(航空)士官学校、「下士(操)」は下士官操縦学生、「予下士」は予備下士官、「少候」は少尉候補者、「特志」は特別志願将校(幹部候補生を含む)、「幹候」は操縦候補生(幹部候補生)、「特操」は特別操縦見習士官、「少飛」は少年飛行兵を略したものです。

また、部隊略号について、「FR」は戦隊、「FCS」独立飛行中隊、「FB司」飛行団司令部の表記です。






初稿 2005-04-10
第2稿 2006-02-03 一部修正

このブログについて〔追記〕

当ブログは旧陸軍の航空戦史について書かれているブログです。

最初は個人について調査していましたが、これは非常に困難であったので、「パイロットたちは何時、何処で、誰が、如何したのか」を知るために、航空隊(もしくは飛行隊・戦隊)単位での戦歴に変更いたしました。そして調べ始めて16年たってご覧の状況にあります。

文書量については、海軍主体に行っていたので陸軍の飛行戦隊については、分量的に少ないのですが、今後も充実させていくつもりです。

【海軍航空隊関連は、当ブログの姉妹編『航空戦史雑想ノート』をご覧下さい】

 

ここに記載されている事の一切については、筆者にその責があります。

ただし、ここに掲載されているものは、あくまで筆者個人による調査や研究によるものであり、各種資料(一次、二次)・文献・記録に書かれていることを参考として、私見を交えず記事に記載しておりますが(当然、原文をそのまま転載している訳ではありません)、国や各種機関の公式な記録や見解ではありません。

 

よくお読みになると当ブログに掲載されている記事は、ある意味で、細かい時系列の歴史の細部を、事実であろうという認識で積み上げていると判ると思います、お読みになっている方々それぞれ、いろいろな歴史認識があると思いますが、筆者にとってこれが事実だということ以外は記載しておりません。

 

事実を知る段階で(例えば資料・文献などを購入する際)は対価を支払いますが(それはその文献や資料を作成した、偉大なる先人に対してへの当然の敬意であり、評価でもあります。

ただし、その対価は市場経済の法則に則りますが・・・〈回りくどい言い方ですね。つまり古書で手に入れるということです。その場合は当然、著者に印税は入りません〉)、筆者が参考とするのは、そこに記載されていることのなかで歴史(事実、もしくは事実と筆者が認定したこと)だけであり、そこに(つまり歴史には)著作権は無いと考えます。

もちろん、そのまま著作を一部でも転載し使用したのなら、著作権は発生します(ただし、引用という形をとれば著作権は発生しません。度を超えた引用は駄目でしょう)が、この場合、参考とした場合をいっております。

 

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基本的に未完成な記事が多いので、これからも特別のことが無い限り、記事に出典は記載はしませんが、テーマ一覧に『主要参考文献・資料』という項をもうけ、そこに参考文献や資料を記載していくことにしました。

当ブログ全体を未完成な一冊の本としてとらえ、その主要参考文献・資料とお考え下さい。

なお、膨大な数なので、総て網羅して作成するのにはかなりの期間を要しますので、その点はご了承下さい。